『何曜日に生まれたの』

何曜日に生まれたの 国内ドラマ

2023年、テレビ朝日系列で放送されたドラマ『何曜日に生まれたの』。

脚本に野島伸司、主演に飯豊まりえを配したこの作品は、一方で社会現象にもなったTBS系ドラマ日曜劇場『VIVANT』の裏側で、実は異彩を放っていた。

今回の記事では、まだ未見の方のために『何曜日に生まれたの』の魅力をネタバレなしで紹介したい

また一度鑑賞済みの方も、読んでいただくことで、このドラマの一体何が視聴者を惹きつけたのかが分かるはずだ。

『何曜日に生まれたの』あらすじ

高校時代、バイク事故に遭ったことをきっかけに、10年間引きこもりになってしまった主人公の黒目すいは、漫画家である父の仕事を手伝うため、人気ライトノベル作家・公文竜炎(溝端淳平)の依頼を引き受けることになる。
その内容は、父と公文のコラボ漫画の主人公に、すいがモデルとなることだった。
公文の取材を進めていく過程で、すいはかつての同級生らと再会し、やがて当時の事故と向き合っていく。
そこには、すいも知らない事実が隠されていた――

考察至上主義の現代に当てはめた野島作品

2023年11月のドラマ放送終了時、それまでの数年間で一番面白く、野島伸司氏の底力を感じた作品だった。

登場人物の会話劇はもちろん、「そのセリフ思いつく?」という言葉の発想力への驚嘆もあり、またテレビドラマのお手本のような脚本展開によって、最初から最後まで飽きることなく鑑賞できた。

正しい「伏線」のちりばめられ方

まず、本当の意味での「伏線」の使い方・ちりばめ方が秀逸である。

ここ数年、テレビドラマにおいて考察至上主義ともいえる傾向からか、やたらめったらと「伏線」という言葉が使われるようになった。

しかしその大半は「伏線」ではなくただの「振り」であったり、視聴者の頭に留めておいてもらうために分かりやすく提供された「謎」であったりすることがほとんどだ。

簡単に違いを説明すれば、「伏線」はリアルタイムでは気づかずに見返してから気づけるもの。シーンの中にひっそりと隠されていて、ワンショットで抜かれたりすることはない。

「振り」は逆にワンショットでの映像で使われることが多い。その瞬間は意味が分からなくとも、後の展開で「あのシーンはここに繋がるのか」と気づくことができる。

「謎」はそのままの意味で、物語上の疑問をすぐに解決せず引っ張っていき、後にその疑問を解決させるエピソードが展開される。

この作品は「伏線」「振り」「謎」を使い分け、また現代の考察好きの流れにも応えるように謎解き要素も用意されていた。

過去の野島作品を振り返っても、彼の作風の楽しむポイントは本来そこではないにも関わらず、きちんと現代に適応しているところに感心させられる。

「自分の物語」を盛り上げるための「他人の物語」

昨今、作品を通して主人公の体験を鑑賞する「他人の物語」に、世間の興味が薄れ始めている。

「自分の物語」が大事な視聴者は、今や作品の考察を自身のSNSに上げることを目的としている。

話題作に触れている自分を見せることが大事なのであり、基本的に作品内の「他人の物語」には興味がそそられない

タイパよく1.3倍速や1.6倍速で視聴を終え、自身の考察をアップし、いいね数を稼いで、またその考察が当たっていれば投稿がバズることを祈っている。

当然、すべての視聴者がそうというわけではないけれど、特に若年層になるにつれて鑑賞スタイルが変化してきていることは間違いない事実だ。

しかし野島伸司氏の本領は、登場人物の人生模様と、交錯した人間関係が織りなすドラマや心理、つまりは「他人の物語」を楽しむことが主だった。

当然、今作の『何曜日に生まれたの』も例外ではなく、主人公のすいを始め、彼女に関わる(または関わってきた)その他の登場人物との葛藤がふんだんに描かれている。

ただ、前述したように、今回の野島作品はそこで終わらなかった。

考察がいつの間にか鑑賞へ

今回の野島作品は、完全な考察作品として作られてはいないにしても、きちんと視聴者へその余地を残していた。

最初に「あの日の真実は?」という「謎」を見せておいて、いつの間にか登場人物の人間関係がどう終着するのかという「物語」に興味を移す仕掛けが施されている

そして物語が展開するころには、彼女らの心理心情を体感するために、倍速ではなく本来の速度で鑑賞されるよう挑戦した作品でもあったのだ。

主人公のすいというキャラクターは、倍速ではその魅力を味わえない人物に仕上がっている。

「すい」そのものでしかない飯豊まりえ氏の演技力

この作品に関してマストで記しておかなければいけないことが、主人公すいを演じる飯豊まりえ氏の熱演である。

彼女の演技を『獣電戦隊キョウリュウジャー』でしか観たことがなかった筆者は、今回この作品を鑑賞してその演技力に脱帽した。

「カメラを通して演じている俳優を見ている」感覚ではなく「画面を通して登場人物の日常を覗いている」気分にさせてくれる俳優は、実はかなり少ない。

決して他の俳優の方々の演技力が無いという話ではない、ということは断っておく。

飯豊まりえ氏の今後の出演作にも期待したい。

まとめ

以上が、『何曜日に生まれたの』の簡単な魅力紹介である。

SNS上で展開を考察共有し、皆で盛り上がることは本当に楽しく、現代ならではの楽しみ方だと感じる一方で、物語そのものにのめり込める作品が少なくなったとも感じる昨今。

鑑賞し終えたあとに、自分の中だけで余韻を味わいたいと思える作品と出会えれば、それはとても幸せなことだ。

これからこの作品をご覧になる方も、ぜひ「謎」を堪能しつつ、彼女らの物語に想いを馳せてみては。

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